曇ったり晴れたり、晴れたり曇ったり。
秋の空と言ってしまえばそれまでだけど、
ダメですね、こういうの。ぼくは。
いくつかやらなければいけないことが目のまえにズラッと並んでいるが、
どこから手をつけていいか迷っているフリして、
結局なにもしていない。
ふと思うのだが時々、
無意識で撮った写真にものすごく惹かれることがある。
写真のために撮っていない写真というか。
ベタなりポジを見るときにちょっとした驚きというか発見を感じるわけです。
逆に、撮影しているときにものすごく意識して、
これはいいゾ、とおもった写真の上がりを確認すると、
意外と感動がなかったりする場合がある。
なんだかそれはあくまで確認であって発見の要素が薄いからだとおもう。
かといって、じゃあすべて無意識に撮れるということではないし、
無意識に撮ったものだけが良いわけではない。
意識して撮ったものにはちゃんとしたある種の強さがある。
ただ、それがあまりにも強すぎると今度はアザとくなってしまう。
おもうに、意識と無意識の狭間、
というか境界線で撮られた写真がいちばん良いのではないかと考える。
いや、これはかなり理屈クサい展開だし、
そう言い切れるものでもないが、たとえば、
目のまえに風景なり人物で「撮りたい」とおもうものがあるとする。
そう意識して、パッと身体が反応して一枚シャッターを切る。
いいなとおもって、さらについでに何枚かシャッターを切る。
それら、連続して撮った写真の上がりを見ると、
直感的にやはり一枚目の写真を選ぶことが多い。
つまり、一枚目の段階ではまだ脳より身体の方が先行して、
言ってみればこっちも無防備に撮っている。
二枚目からは無意識のなかにも意識的にやれ構図だ、
アングルだと徐々に思考が加わっていくのである。
そのどっちを良しとするかは人それぞれだとおもうが、
ぼくは無防備に撮った写真に反応してしまう。
そうだ、これは被写体にもおなじことが言えるな。
でもまあ、ちょっと理屈クサくなってきたし、
これが答えということでもないし、
何年写真やっててもこんなことを考えている自分がいる。
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記事があった。
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