最愛の女性と美術館で『回顧展』へ。
女性と言っても、まだ五歳だから女の子と言うべきか
いや、まわりくどく言わず、素直に娘と言えばいいのだが、
とにかくまえから二人で出掛ける約束をしていたが、あいにくの雨である。
予定では芸術鑑賞のあと、ついでに〈上野動物園〉も、ということになっていた。
午前中、出るときはまだ雨は降っておらず、
予報では午後から本格的に降りだすとのことで、
さきに動物園に行くことに。12月中旬並の寒さということで園内はスカスカ。
子どもより若いカップルや中高年の団体が目立つ。
それにしても、たまにはこういうところに来るもんだ。
なかなか面白い。
大半の動物は動いているというより止まっている。
寝てるというか。
だから、こっちは置きモノを覗き込んでいるよう。
でもやはりモノではなく生きモノだから目や体のどこかがかすかに動いたり、
とつぜんガバッと起きあがったりする。
その感覚が普段の日常とはちがった感覚を呼び起こす。
いや、そんな大袈裟なことでもないし、
そんなハデな感覚でもないが、でも微かな快感はある。
子どもにしてみれば、なおさらのこととおもう。
放送による案内を聞いた娘はペンギンの餌付けを見たいと言う。
行ってみると檻のなかの池の真んなかの岩にペンギンが集まっていて、
やはりみなさん置きモノのようにジッとしておれる。
ジッとはしているが、みなさん見事に四方八方バラバラの方向を向き、
うえを見ながらジッとしている。
なかには、寝ているのか、頭を胸のあたりにスッポリ隠しているペンギンもいる。
一見、連帯感があるようで「オレはオレ」と主張しているようで笑える。
檻の脇のトビラの向こうでエサ係のオネェさんが
準備をはじめると二羽のペンギンがノコノコと近づいていき、
オネェさんがバケツを持ってなかに入るとその二羽は先導するように今度はスタスタと群れのなかに戻っていった。手塚漫画の「オムカエデゴンス」みたいで、
これまた笑える。
それ以外にもバンダナで遊ぶゴリラなんかが面白かったが、
メインのイベントはあくまでダリ。
途中、やはり雨あしも強くなってきたが、
美術館にちかづくと傘を持った群れが見える。
なんやらスピーカーで「30分待ち」とか言っている。
これには正直、ビックリ。巨匠とはいえ、
世の方々はこの手の展覧会にはちゃんと足を運ぶもんなんですね。
おもえば、ぼくが生まれてはじめて自分の意志と自腹で買った画集がダリだった。
13とか15歳くらいだったとおもうが、
そのころはドイツに住んでいて、フリーマーケットで買ったと記憶している。
そのころはまだ写真ではなく絵画だった。それも宗教画。
ダ・ヴィンチにラファエル、ミケランジェロ。
なかでもラファエルのマリア像は美しいと感じていた。
そんなときに見たダリは衝撃的だった。
十字架にはられたイエス・キリストが宙に浮いているのである。
それも仰向けのように浮いていて頭の方からからさきにえがかれている。
クソ真面目といえばそれまでだが、
ぼくはそれまで十字架のイエス・キリストは
正面から見上げるよう描くもんだと思い込んでいた。
だからその絵にはある種のタブーのような衝撃と同時に惹き付けられたのである。
それにしても、館内も人でごった返している。
美術館特有の静寂はあるが一点一点鑑賞するのはあきらめた。
オリジナルを見るのはこれがはじめてだった気がするが、
記憶が曖昧で、もしかしたらすでにヨーロッパで見ているのかもしれない。
いずれにしても、まことに月並みな言い方をすれば、
やはりオリジナルの絵は奥行きと発色がまったくちがう。
娘もそれなりに興味津々見ている。どれがよかったかと訊くと、
写真にあったダリのポートレートのヒゲとパンを精密に模写した絵と答えていた。
ウーン、これはダリの本領、シュールレアリスムとは真逆の絵なんだがな……。
帰りは上野駅から山手線。
(そうそう、一昨日、駐車していたぼくのキャデラックが何者かにフロントガラスにモノを投げつけられヒビを入れられてしまった。こんな不景気なときにショックとともに怒り心頭!!)
神田駅から乗ってきたおばさんが我々のとなりに座って、
娘をニコニコと見ている。
「これ、余ったお菓子なんだけど。
お嬢さんにさしあげてよろしいかしら」
と言って、バッグからお菓子の詰まった透明のビニール袋を取り出した。
そのうちのひとつかとおもったら袋ごと渡された。
お礼を言い、二、三娘と会話を交わすとおばさんはふた駅ほどさきで降りていった。
袋の中身を確認するとスルメ、
ミニサラミ、ピーナッツ、煮干し、チーズ……。
これ、お菓子ではなく、酒のつまみだとおもうのだが……。